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札幌地方裁判所 昭和47年(ワ)418号 判決 1975年10月30日

原告

宮崎隆

外三名

右原告ら訴訟代理人

入江五郎

被告

斉藤弘

右訴訟代理人

武田庄吉

外一名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(原告ら)

被告は、原告宮崎隆に対し金一〇〇万円、原告宮崎久美、同宮崎睦子、同宮崎聡それぞれに対し各金六六万六、六六六円及び右各金員に対する昭和四七年二月二五日から支払ずみに至るまで年四分の割合による各金員の支払をせよ。

訴訟費用は、被告の負担とする。

仮執行の宣言。

(被告)

主文と同旨。

第二  当事者の主張

(請求原因)

一、原告宮崎隆は、昭和四七年二月二四日に死亡した宮崎兌子の夫であり、その余の原告らは、その子供である。

被告は、外科医院を開業している医師である。

二、医療契約の締結及び診療の経過

1 兌子は、昭和四七年一月下旬、被告との間で、十二指腸潰瘍の潰瘍部を手術によつて除去することを内容とする医療契約を締結し、同年二月八日、被告の経営する千歳中央外科医院に入院した。

2 同月二三日午後六時から午後一一時までの間、被告の執刀によつて潰瘍除去手術が行なわれ、午後一一時三〇分、兌子は、手術を終えて病室へ運ばれた。その直後、看護婦が酸素吸入を行ない、血圧が低下したので輸血が施された。

3 翌二四日午前一時五〇分ころ、兌子は、吐気、背中・腹部の痛みを訴え、口中にあぶくが一杯に溜まり、胃液がだらだらと流れ出し、更には手術部位から出血し始めた。午前二時ころ、被告は、病室に来て、リンゲル注射、輸血等の処置を講じ、看護婦一名が終始付き添つていたが、午前五時過ぎになつて、兌子は、黒色に近い吐血をし、被告は、再度病室に来て、リンゲル注射と輸血をした。

4 同日午前一〇時一〇分、兌子は、手術室に移され、二度目の開腹手術が行なわれた。午後零時ころ、被告は、原告宮崎隆に対し、「大腸の陰にこぶ様のものができていて、その中に血液が多量に溜まり、破裂して出血が止まらない。身内の人達に知らせて病院に来るよう連絡しなさい。」と告げた。午後一時ころになつて、札幌市立病院第一外科の医師池田敏夫が応援にかけつけたが、午後三時三〇分、兌子は、死亡するに至つた。

三、被告の責任

1 潰瘍除去手術の失敗

(一) 被告の診断によると、兌子の死因は、腸間膜動脈瘤破裂による大量出血に起因する急性心不全ということである。しかし、兌子のような四二、三才の女性が何らかの先天性の要因による動脈瘤を有していて、それがたまたま手術の約三時間後に破裂するなどということは、確率的に見て一、〇〇〇億分の一にすぎない。

(二) 動脈瘤というのは極めて珍らしい症例であるのに、被告は、その部分の摘出、保存をせず、遺体の解剖もしていない。また、二度の手術とも、兌子の親族等が立ち会つていないし、杉井麻酔医は、動脈瘤のあとを見ていない。

(三) 動脈瘤破裂などというのは、被告の言いわけにすぎない。真の死因は、第一次の手術の際の縫合の不手際などのため、出血多量による血圧の低下を招き、これに対して講じられた大量輸血に心臓の負担が耐えきれず、シヨツク症状を起こしたものと考えられる。

2 動脈瘤の存否につき検査せず、大量輸血してそれを破裂させた過失

兌子が腸間膜動脈瘤破裂による大量出血に起因する急性心不全によつて死亡し、潰瘍除去手術自体は成功であつたとしても、動脈瘤破裂の原因は、被告が動脈瘤の存否につき検査せず、兌子の潰瘍除去手術後の容態悪化の原因についても何ら精査することなく、大量の輸血を漫然と施したことにあり、この点につき医師としての善良なる管理者の注意義務を尽くしていない。

四、損害額

兌子は、手術のための入院前、胃を除き健康体であつた。通常、潰瘍除去手術自体は、余程潰瘍が悪化していないかぎり、医学上さして困難な手術ではない。それなのに、兌子は、被告の過失によつてその生命を奪われた。この精神的苦痛をあえて金銭に見積ると、少なくとも金三〇〇万円が相当である。

原告宮崎隆は兌子の夫として三分の一、その余の原告らは兌子の子供として各九分の二ずつ、その法定の相続分に応じて右兌子の慰藉料請求権を相続した。

五、よつて、原告らは、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、請求の趣旨記載のとおりの各金員及びこれに対する兌子死亡の日の翌日である昭和四七年二月二五日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否)

第一項の事実は認める。

第二項の事実につき、1は認める。2のうち、昭和四七年二月二三日、被告の執刀によつて潰瘍除去手術が行なわれたこと、兌子が手術を終えて病室へ運ばれたこと、その直後、看護婦が酸素吸入を行ない、輸血が施されたことは認めるが、その余は否認する。3のうち、翌二四日、被告が病室に来てリンゲル注射、輸血等の処置を講じ、看護婦一名が終始付き添つていたことは認めるが、その余は否認する。4のうち同日、兌子が手術室に移され、二度目の開腹手術が行われたこと、札幌市立病院第一外科の医師池田敏夫が応援にかけつけたが、午後三時三〇分、兌子が死亡するに至つたことは認めるが、その余は否認する。

第三項の事実につき、1の(一)のうち、兌子の死因についての被告の診断が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。1の(三)及び2は、いずれも否認する。

第四項の事実中、通常、潰瘍除去手術自体は原告ら主張のように医学上さして困難な手術でないことは認めるが、その余は否認する。

(被告の主張)

一、兌子の病歴

手術に至るまでの兌子(昭和三年六月一度日生)の病歴は、左記のとおりである。

1 昭和一四〜一八年ころまで 肺結核

2 昭和二八年 下血をして札幌医科大学一般外科学教室受診

十二指腸潰瘍の保存的療法を受けるため入院

その後北炭医務室、千歳第一病院その他の医療機関で右傷病のため治療を再々受けていた。

その他年月不詳虫垂切除、婦人科手術を受ける。

3 昭和四六年一月八日 感冒で被告の病院受診。吐気、げつぷ、空腹時に上腹部痛を訴える。

同年一月一一日〜同年一二月末まで 十二指腸潰痕との診断で被告の病院に通院。貧血著しい。

昭和四七年一月二八日 胃バリウム及び胃液検査実施

同年一月三一日 右検査の結果説明、兌子手術を希望

同年二月八日 入院、諸検査を始める。

二月九日 軽度の貧血状、心電図、洞性徐脈、胸部X線所見特に異常なし  多少の低蛋白  術前処置としてアミノ酸テキストラン液の点滴開始

二月一二日 発熱、急性気管支炎との診断で加療

二月一六日 下熱

二月一七日 術前処置として輸血開始

二、十二指腸潰瘍手術の経過

昭和四七年二月二三日 手術施行

一般状態良好、体重五一kg、血圧一一四―七二、必要な術前処置、麻酔前投薬実施

同日午後五時 手術室に入る。

午後五時二〇分 杉井医師の手で麻酔導入

午後五時三〇分 気管内挿管完了

午後五時五〇分 被告執刀

午後一〇時二〇分 手術終了

午後一〇時四〇分 気管内チユーブ抜管

午後一一時 帰室。問かけに対し応答するが嗜眠状態血圧一一八―七〇、脈搏数一分間五九、血管壁の緊張良好

三、手術後の経過

二月二三日午後一一時 術後処置として、(一)フアーラー対位、(二)酸素吸入、(三)点滴続行、(四)抗生剤・強心剤・糖体投与、(五)胃管・尿道カテーテル留置等実施

二月二四日午前一時三〇分ころ 被告及び杉井医師診察  血圧一二〇―六〇、脈搏数一分間四八、緊張良好、呼吸安静、咽頭痛を除き疼痛の訴えなし 胃液を吸引するも排泄なし、尿量七〇cc問いかけに対する応答良好、当直看護婦術後管理

同日午前三時二〇分 血圧下降の連絡を受けて診察。血圧八二―五六、脈搏数一分間五八、緊張弱し、顔面・結膜貧血状、咽頭痛・倦怠感・痰喀出困難を訴える。創部を圧迫して咳をするよう指示、ベンワーズドレーンよりの出血殆どなし。血液不足と診断し、四〇〇ccの輸血を施し、血圧をほぼ九〇―一〇〇に維持する。カルシユウム剤・強心剤・利尿剤投与

午前六時 右側カツトダウンチユーブ閉塞・左大伏在静脈を用いて再度カツトダウン実施。このころ背部に鈍痛を訴える。創部痛及び腹部痛の訴えなし。ドレーンよりの出血も殆どなし。嘔吐反射を伴わず、黒色の胃液を少量口中より吐出、胃管より吸引・位置調整、胃液の吸引なし

午前七時 ころこのころまで一般状態の急激な変化なし。結膜、口唇・顔面等は貧血状態、一、〇〇〇CCの輸血に対し血圧の反応微弱、乏尿、術後の出血を疑い、再開腹を決断

四、再手術に至るまでの経過

二月二四日午前七時〜同日午前七時三〇分 当直看護婦に再手術の準備を命ずる。

杉井医師に連絡・応援依頼  池田医師に対診・再手術の応援依頼

午前八時ころ 付添いの義母から再手術の了解をとる。  午前九時ころ手術の予定で準備  降雪による道路事情悪化のため、営業車を利用できず、両医師の到着遅れる。

午前一〇時五〇分 池田・杉井両医師到着

午前一一時 再手術決定、患者を手術室に移送

午前一一時一〇分 杉井医師により気管内挿管、全身麻酔に入る。

五、再手術とその経過

二月二四日午前一一時二五分 池田医師の執刀により手術開始  上膜部正中切開の旧手術創に添つて開腹腹腔内に多量の漿液血性貯溜液あり、吸引約二、二〇〇cc、ばらんすを保つため直ちに輸血  十二指腸断端埋没縫合部の一部にわずかな滲出性出血を認め、縫合にて止血、次いで胃断端部及び胃空腸吻合部検索、腸管内外への出血点なし  後腹膜方向より持続的出血あり、検索のため結腸を下方に翻展、右側後腹腔及び右側上行結腸間膜にかけて広範な血腫の存在を発見、右側後腹膜の一部に皹裂あり、滲出性出血を認める。  後腹膜の皹裂部を拡げ、約一、〇〇〇ccの凝血除去、右結腸動脈の一部に激しい出血部を認め、結紮により主要な出血部を止める。出血点は、右結腸動脈に存在した動脈瘤の破裂に基づくものと診断

同日午後零四〇分 次いで後腹膜腔より滲出性出血の処置を行なうため電気メスの使用を考慮し、準備中心停止、直ちに体外性心マツサージを実施、各種強心剤を使用、心律動の回復認められず、直接心マツサージを行なう。

午後一時四〇分ころ 心律動の回復を認める。極めて微弱、持続性なし、各種薬剤を使用するも効果なし

午後三時三〇分 死の転帰をとる。

六、結論

以上のような経過から、兌子は、右結腸動脈に存在した動脈瘤の破裂によつて三、〇〇〇cc以上も腹腔内に出血し、心不全を起こして死亡したものである。

動脈瘤の破裂は、その病状から見て、約五時間を経過した二月二四日午前三時過ぎころと推定される。右時刻までに施された輸血量は、手術の前後を合計してわずか六〇〇ccであるから、輸血が原因で動脈瘤が破裂することは考えられない。そして、動脈瘤が存在した右結脹動脈支配域は、十二指腸切除・胃空腸吻合部と離れており、また、兌子には動脈瘤を疑わせる症状所見が皆無であつたから、第一次手術の手術前及び手術中に動脈瘤の存在を診断することは不可能であつた。

被告は、前記のような経過で、兌子に対し、十二指腸切除・胃空腸吻合術を通常どおり実施し、出血点のないことを十分に確認して閉腹した。このことは、再手術の際、池田医師及び被告が右第一次の手術部位を入念に観察したが、周辺部にわずかな滲出性出血があつたほか、手術部に大量出血の原因となるものは何らなく、第一次の手術直後も急激な血圧の低下が認められなかつたことから明らかである。

兌子の死亡につき、被告にはその責めに帰すべき事由はないので、原告らの請求は失当である。

第三  証拠<略>

理由

一宮崎兌子が、昭和四七年一月下旬被告との間に結ばれた医療契約に基づき、同年二月八日被告経営の病院に入院し、同月二三日十二指腸潰瘍の除去手術を受けたこと及び同月二四日日午後三時三〇分死亡したことは、当事者間に争いがない。

二原告らは、被告が兌子に対して行なつた潰瘍除去手術の失敗その他医療下の過誤に基づき同女が死亡した旨主張するので、以下判断する。

1  手術前の状況

<証拠>によると、次の事実を認めることができる。

兌子は、一一才から一四、五才までの間肺結核を患い、昭和二八年下血をして十二指腸潰瘍との診断で治療を行ない、その後たびたび同病名で治療を行なつていたが、昭和四六年一月から被告の診察を受け、同月一一日胃バリウム検査を受け、その後たびたび被告の病院に薬をもらいに通院した。

兌子は、昭和四七年一月に入つても被告の病院に通院し、投薬や注射をしてもらつていたが、同月八日胃のX線、バリウム検査を受けた。

同月三一日、右検査の結果に基づき、被告と相談したうえ、兌子は、潰瘍が悪性化したり、長期間完全には治癒することなく病状が一進一退を繰り返していることから逃れるため、十二指腸潰瘍の除去手術を受けることになつた。

同年二月八日、兌子は、被告の病院に入院し、同月九日から一〇日かけて、手術を受けるため、血液の状態、肝臓の機能、検尿、心電図など各種の検査を受けた。

その結果、全般的には異常なかつたが、やや心臓の搏動数が少なく、また、従来からの低血圧、貧血症、低蛋白血症を呈していた。

同月一二日、兌子は、急性気管支炎のため三九度の発熱を見たが、一六日に下熱した。

同月一七日、被告は、術前処置としてアミノ酸が補液として入れられている輸血を行なうことになり、同日二〇〇cc、一九日二〇〇cc、二〇日二〇〇cc合計六〇〇ccの輸血を行なつた。

その結果、同月二〇日には、兌子は、顔色がよくなつて手足が暖かくなつたと報告している。

同月二一日、手術を行なうように予定し、その準備がされていたが、麻酔担当の杉井重雄医師の都合が悪くなり、手術は、二三日に延期された。

同月二三日、被告は、兌子に対し、高圧浣腸、カツトダウン、胃洗浄、留置カテーテルなど手術の準備行為を行なつた。

同日における兌子の体重は五一キログラム、血圧は一一四―七二であつた。

同日午後三時三〇分、麻酔前投薬としてホリゾン一アンプルが注射され、午前四時三〇分、硫酸アトロビン一アンプル、オピスタン一アンプルが注射された。

以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実に加え、鑑定人医師島田信勝の鑑定の結果を合わせると、被告が兌子を十二指腸潰瘍と診断したこと、その手術の必要性を認めたこと及び同女に対する各種検査、術前処置並びに同女が手術に耐えられると判断したことにつき、特に問題とすべき判断の誤り、検査や処置の不十分さを認めることはできない。

2  手術時の状況

<証拠>によると、次の事実を認めることができる。

被告、杉井医師及び被告の使用する看護婦二名の合計四名の構成で、兌子の手術が行なわれることになり、二月二三日午後五時手術室に入室、午後五時一五分ころハルトマンの点滴を開始、午後五時三〇分ころ杉井医師が酸素・笑気ガス・フローセンを使用してガス麻酔を導入、挿管、サクシンも注射された。血圧は、午後五時一五分ころ一二〇―八〇、導入開始時一八〇―一五〇、その後午後五時四五分ころ一二〇―八〇で、午後一〇時二〇分の手術終了時までほぼ一定した経過を保つた。

午後五時五〇分ころ被告執刀、午後一〇時二〇分手術終了

午後八時ソーダライム交換、午後八時一五分デカドロン、午後八時三〇分過ぎころセジラニツト、午後九時5%糖五〇〇ml、午後九時一五分保存血二〇〇ml、午後九時三〇分ソーダライム交換、午後九時四五分ころ保存血二〇〇ml、午後一〇時ころレプチラーセS、トランサミンS、ケーワン、ビタミンC、腹腔内にカナマイシン、手術終了時にフローセンが止められた。午後一〇時四〇分ころ抜管、午後一一時ころ帰室。

帰室時において、兌子は、睹眠状態にあるが、簡単な受け答え可能、血圧一二〇―七〇であつた。

以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実、前記鑑定人の鑑定の結果及び証人池田敏人の証言によつて認められる後記再手術時に見られた手術部の状況に照らすと、右手術が不相当であることを認めることはできず、また、手術時における兌子の体の異常な変化あるいは特別な投薬等もないというべきである。

ただ、兌子の手術に要した時間は約四時間三〇分であり、この種の手術としては多少長い時間を要しているが、これは、被告が看護婦だけを助手として手術を行なつたためであつて、かつ、そのために兌子の体に変調をきたしたとの徴候を全く認めることのできない本件にあつては、何ら問題とすべき点はないといわざるを得ない。

3  手術後の状況

前記2冒頭に掲げた証拠によると、次の事実を認めることができる。

被告は、二月二三日午後一一時から兌子に対し酸素吸入(1.5l)、ハルトマン、アリナミンF、ビタミンB2、ビタミンC、ピロサイクリンなどの点滴、投薬を行ない、翌二四日午前一時ころ止血剤を施用した。午前一時の血圧は一二〇―六〇、午前一時三〇分に二〇〇ccの輸血をした。その時の血圧は一〇八―六一、兌子から疼痛の訴えはない。尿量、胃液の量をチエツク。輸血は術前からの貧血を考慮し、術後の経過を良くするために行なつた。

被告、杉井医師は、午前一時三〇分ころ、病室で、兌子の状態を確認した。

被告は、その後就寝し、杉井医師は、札幌市に帰つた。兌子には、看護婦及び義母成田ユウが付き添つた。

兌子の血圧は、午前二時九八―六四、午前三時過ぎころ看護婦から被告へ連絡、年前三時一五分ころ九〇―五五、午前三時三〇分八三―五二、貧血状態を恒常的に呈す。このころ二〇〇ccの輸血、午前三時四五分ころの血圧九二―五〇、午前四時二〇〇ccの輸血、兌子の血圧上昇九五にまでにまで復す。午前五時四五分から再度二〇〇ccの輸血、午前六時左足カツトダウン、午前六時三〇分過ぎころ二〇〇ccの輸血、各種薬剤投与。午前六時ころ、兌子は、背部に鈍痛を訴えた。午前六時から午前七時ころにかけて血圧の差がせばまり、脈圧が弱くなる。午前七時血圧九二―七二。被告は、このころまでの兌子の状態からシヨツクの準備段階にあると判断して出血状態を予測、再度開腹検査を決意、午前七時三〇分ころ杉井医師、池田敏夫医師に連絡、応援を頼んだ。午前八時過ぎころ二〇〇ccの輸血、ハルトマン点滴、午前八時三〇分血圧一〇二―六四、午前八時四五分ころキシリツト、カルニゲン施用、午前九時三〇分二〇〇ccの輸血、血圧八八―五八、午前九時四五分ころ二〇〇ccの輸血、午前一〇時血圧八一―七〇、ハルトマン点滴、カルニゲン施用、午前一〇時一五分ころ二〇〇ccの輸血、午前一〇時三〇分ころアレルゲンカルシウム一アンプル施用、尿二四〇cc、午前一一時五〇分ころ池田医師、杉井医師到着(降雪による道路事情悪化のため両医師の到着が遅れた。)。被告が兌子の状態を告げ、直ちに再手術に取りかかつた。

以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、<証拠>によると、兌子は、手術後、吐気がすると訴えたこと、口から唾液様のものをたらしたこと、便をしたい旨訴えたこと、背中が痛いと訴えたこと、明るくなつてから黒いものを吐いたことがうかがわれるが、いずれもその時間が明確でなく、仮に右のような事実があつたとしても、手術直後に兌子の体の状態が急変したことの証拠とはなし難い。

前認定事実によれば、術後の処置については、兌子の状態が平静を保つており、これを二四日午前一時三〇分ころ被告、杉井医師が確認しているのであるから、この点は何らかのおちどがあつたことを認めることはできず、かつ、その後の処置についても、前記鑑定人の鑑定の結果を合わせると、十二指腸切除及び胃空腸吻合術の術後の処置としては被告に責められるべき点は見当らない。

4  再手術時の状況(動脈瘤について)

<証拠>によると、次の事実を認めることができる。

二月二四日午前一一時ころ、池田医師らは、兌子の示している症状が出血性シツヨク症状であると判断し、直ちに手術に取りかかることを決定し、杉井医師の手で麻酔導入をし、午前一一時二〇分ころ、池田医師の執刀によつて第一次の手術で切開した縫合部分の糸を切りはなして開腹した。開腹すると、そこに血清漿液性の血液が約二、二〇〇ccCC溜まつていたので、それを吸引するとともに、直ちに輸血した。右血液を吸引すると、手術部が明らかになり、十二指腸断端部下部の糸のかかつたところの糸の回りあたりにわずかな滲出性出血を認めたので、縫合して止血した。次に胃断端、胃小腸吻合部には、全く出血点がなかつた。池出医師は、右滲出性の出血部分からの出血が微量であつて、命に別状がないものであり、多量の出血の原因となり得ないところから疑問を感じ、更に検査したところ、右側後腹膜付近からの血性の滲出液を発見した。そこで横行結腸を下方に押えて、右側後腹膜の部分を精査すると、同部分に紫色をした血腫が溜まつているのを発見した。この部位は、結腸の前側の部分が変色していないため開腹した当初においては発見し得なかつた。池田医師は、その部分の血塊を約一、〇〇〇cc取り除いたところ、更に出血が確認された。そこで、出血点を確かめるため、右結腸間腹を開いて捜し、右結腸動脈の真中付近に激しい出血点を発見した。早速、二個所の出血点を結紮し、出血の収まつた時点でその部分の調査をすると、数ミリという細い動脈の一部の直径約一センチメートルの弾力性を失つてしぼんだ動脈を確認した。池田医師は、被告に動脈瘤の診断を伝え、被告も、患部を確認したうえ、この診断に同意した。杉井医師も、この二人の会話を聞いている。池田医師は、後腹膜腔よりの滲出性出血の処置を行なうため電気メスの使用を考慮し、その準備中、午後雰時四〇分、兌子は心停止をきたし、直ちに体外性心マツサージを行ない、各種強心剤を使用したが、心律動の回復は認められず、直接、心マツサージを行なつた。午後一時四〇分ころ、心律動の回復が認められたが、極めて微弱で持続性がなく、各種薬剤を使用したが、その効果はなかつた。午後三時三〇分、兌子は、死の転帰をとつた。

以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

もつとも、死体解剖がなされず、動脈瘤壁の病理組織学的検査もなされていない本件にあつては、腹部動脈瘤自体が極めてまれな症状であることと相俟つて、直接第二次の手術を担当した前記池田証人及び被告本人の認識以外には、動脈瘤の存在を裏付ける証拠はない。したがつて、医学的に見て、動脈瘤が存在したことを断定することは、事後的にはできないであろう。しかし、池田証人は、現実にそれを見て動脈瘤との診断を下し、その診断を一貫して維持説明し、その間に何ら矛盾点がなく、また、同証人は本件につき直接の利害関係を有しないのであるから、その証言には信憑性があり、動脈瘤がまれな症状であつたとしても、医学上の資料としてはともかく、訴訟上においては、同証言を措置して、兌子に動脈瘤が存在したことを認めることができる。

ところで、前認定のとおり、再手術の際に確認された腹腔内の多量の血液が兌子の結腸動脈瘤が破裂したことによつて生じたものとすると、動脈瘤破裂の原因が問題となるが、<証拠>によると、その破裂は本件手術と直接的な関係がないこと、破裂の原因は不明であることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

原告らは、兌子に対する大量の輸血が動脈瘤破裂の原因になつた旨主張するが、前認定の第一次の手術及び術後における輸血量並びに<証拠>によつて認められる動脈瘤破裂の原因が外傷、炎症等によることが多く、輸血の例が上げられていないこと、輸血しても、それが直ちに動脈内の血液量を増大させるものではないことに照らし、にわかにこれを原因とすることはできず、他に右主張を認めさせるに足りる証拠はない。

十二指腸潰瘍の除去手術は患者の体力面にかなりの負担であり、これと動脈瘤の手術を同時に行なうことは好ましいことでないであろう。

その意味で、動脈瘤の存在が確認されれば、むしろその治療を先にし、患者が正常な状態に復するのを待つて、潰瘍除去手術に移行するという方法をとるものと思われる。

そこで、この動脈瘤の存否を疑つてあらかじめ検査することが第一次の手術をするに際して要求されるか、ということが一応問題となる。

前掲中第四号証の一・二、乙第一一号証、前記鑑定人の鑑定の結果によると、患者が症状を訴えている場合あるいは触診等でその存在を判断される場合を除いては、動脈瘤の存在を知ることは至難であつて、事前にこれを発見することは不可能であること、また、潰瘍除去手術では、通常、動脈瘤の検査をすることまでは行なつていないことが認められる。また、被告本人尋問の結果によると、被告は、これまでの約七〇〇例の手術経験でも、本件のごとき動脈瘤の症例に遭遇したことはなかつたことが認められる。更に、前記認定事実によると、第一次の手術中に偶然動脈瘤を発見することも不可能であつたと考えられるから、動脈瘤の存否につき術前検査をしなかつたこと、手術中にこれを発見し得なかつたことをもつて、被告の責めに帰すべき事由があると認めることはできない。

原告らは、被告が兌子の動脈瘤部分の摘出、保存をせず、遺体の解剖もしていないことなどをもつて、動脈瘤破裂がなかつた旨主張する。しかし、法律上、被告に右のようなことを行なうべき義務はないのみならず、<証拠>によると、池田医師、被告は一貫して動脈瘤破裂のことを兌子の義母成田ユウ、原告宮崎隆に説明していること、その際、原告らにおいて特段異議を述べた形跡はないこと、被告は、兌子の手術に取りかかつた二月二三日午後五時ころから翌二四日午前一時三〇分ころまで手術経過につき起床して注意を向けており、二四日午前三時ころから兌子の死亡が確認された午後三時三〇分まで兌子に輸血や各種の処置、更には再手術、心臓マツサージ等蘇生のために最大限の尽力をしていたことが認められるから、あてえ、臨床医として病理学者の研究材料として兌子の動脈瘤を摘出、保存したり、遺族に遠慮して解剖の承諾をとらなかつたことをもつて、被告の供述そのものの信憑性を疑い、ひいては、潰瘍除去手術の失敗の隠ぺいにまで結びつけることはできない。

三以上によれば、兌子は右結腸間膜動脈瘤破裂による大量出血に起因する急性心不全によつて死亡したもので、その死は不可抗力によるものと認めるほかなく、被告に医療契約上の債務不履行ないし帰責事由がある旨の原告らの主張は採用できないので、本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(安達敬 佐々木一彦 古川行男)

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